モリクニさんプロフィール

モリクニさんについて

ご挨拶

モリクニさん

1959年、モリクニさんは森國家の長男として山口県で生まれました。
家族構成は両親と弟の4人家族でした。
父親が役人(現在の厚生労働省)で地方勤務の転勤が多かったそうです。
そのためモリクニさんは中学卒業までの期間で7回の転校を経験しました。 (⇒広島⇒大分⇒長崎⇒山口2回⇒兵庫⇒東京)
転校の度に環境が変わり、新しい人間関係に馴染むまでのプロセスについて、最初の頃はとても辛くストレスに感じたそうです。
ところが繰り返す転居を経て、徐々に適応能力が身に付き「環境変化」や「新しい人間関係」にも短期間で順応できるようになっていったと言います。(モリクニさんの親しみ易い人柄はこの頃に形成されたのかもしれません…)
中学3年からは東京で暮らし、都立高校を経て東洋大学(経営学部商学科)で学びました。

社会人デビューの第一歩は、都内の出版会社での勤務です。
仕事はルートセールスの営業でしたが、日々の仕事に大きな変化がなく同じ仕事を繰り返す毎日は、アグレッシブな変化を好むモリクニさんにとって次第に苦痛を感じるようになってきました。
その結果、僅か二年で退職を決意し同時に「新しいチャレンジ」が始まることになりました。

24歳の時、小さな会社を設立しました。

もちろん会社経営の経験はなく大きな期待と同時に不安を携えてのスタートです。
会社名は「有限会社 三共アドプラン」と言い、OOH広告(屋外広告)が主業務でした。
主なフィールドは「自動車教習所」や「病院」など不特定多数のユーザーが集まる場所で、ノーアポで訪問して開拓してゆく仕事です。
新規先に飛込み営業で売り込んでゆく強いメンタルに加え、設置場所と広告主(スポンサー)のニーズをマッチさせる創意工夫が求められる仕事でした。
営業方法は地方都市へ出向いて(短期出張)、集中的に開拓する手法で展開していました。
最初の頃は、必死で可能性を追求しフルパワーで働いたこともあり、比較的早い時期に経営が軌道に乗ってきたという事です。

実績も積み上がり多少安定してきた頃…それは「名古屋」へ出張した時のことです…

その出張では、まったく成果があがらず「惨敗」という結果を初めて経験しました。
その時のショックは大きく、何が原因なのかという事を真剣に考える契機となりました。
どうしたら良いか…当時モリクニさんは必死に考え悩んだそうです。
次の出張先、「新潟」で一連の問題(悩み)は解決されました。
新潟の中古車販売会社へ飛び込んだ際に社長さんから「今夜一緒にメシ喰おう」と誘われたのです。更にその夜は社長のご自宅に泊めていただきました。
翌日、その社長の会社で契約を結んでいただいた時の喜びはいつまでも忘れられない良い思い出になっているそうです。

※名古屋では、売り込みたい気持ちが勝り100%モリクニさんが話しまくってセールスした
※新潟では、土地のこと中古車のこと社長さんの考える広告イメージについて聞きまくった
↑この違い↑に気が付いたことは、その後のモリクニさんのビジネススタイルに大きな影響を与えることになったそうです。

モリクニさん

三共アドプランはOOHでの売り上げを順調に伸ばし、多くのクライアント様に恵まれました。

さらに「経営の多角化!」これまでのビジネスモデルに加え、地方都市への出張をしないで地元で稼げる仕事を始めることにしました。 「名刺」「封筒」「パンフレット」「チラシ」などの広告制作の仕事です。
小さな売り上げでを積み上げる地味な仕事でしたが、次第にコツをつかめるようになってきました。
お得意様からはリピートオーダーもいただき、規模は小さいですが安定した新しい収益基盤を構築することができました。

創業から5年目を迎える頃、「有限会社 三共アドプラン」を信頼していた社員に事業譲渡し新しい領域へチャレンジすることを決意しました。そのきっかけとなったのは、親しい知人が不動産会社に勤務しており「土地の値上がり」や「好景気」の様子を聞いてこれは大変なことになっているという事に気が付いたのです。(バブル景気の始まりの頃です)

モリクニさん29歳!、いよいよ不動産業界へデビューします。

不動産販売会社に就職しました。
勤務形態は完全歩合給(フルコミッション)で、研修などはまったく無く入社後すぐに接客の仕事が始まりました。 「とにかく稼げる!」…食べるモノ、着る物、身に付ける物の全てが変わっていったそうです。 「家(土地)を買いたい」というお客様が向こうからやって来てくれるという変な時代に違和感を感じることもなく、日本中が舞い上がっていた時代だったと言います。

夢のような時代はいつまでも続きませんでした。
入社3年目、モリクニさんが32歳の時に潮目は変わっていきました。
国土利用計画法⇒不動産融資の総量規制⇒やがてバブルは終焉の時を迎えることになったのです。
これまでのように「買えば上がる地価」、待っていればお客様が来てくれるという流れは正反対に動き始めたのです。
当時は多くの不動産会社が倒産し、不動産業界で稼いでいた人たちも次第に音信不通になっていったそうです。

当然、売り上げやコミッション報酬は激減しましたが、お客様が全くいなくなってしまったわけではありませんでした。
少なくなったお客様からの「反響」はとても貴重なものとなりました。
その大切な反響を実績に結びつける方法をモリクニさんは知っていました。
「名古屋方式」よりも「新潟方式」が大切だという事をモリクニさんは経験していたのです。
お客様のニーズをしっかり把握して面倒な調査や価格交渉をお客様の立場で実行する(自分がお客様の目線に立つ)ことで信頼関係を築くことは可能になるのです。
バブル崩壊後もモリクニさんの仕事の進め方と目標は揺らぐことがありませんでした。
モリクニさんは「家を買う時はあなたから買います」とお客様に評価していただく事が何よりも嬉しかったと当時を振り返っていました。

6年間の不動産エージェント時代に別れを告げ、不動産と建築で独立することになりました。

時代背景はあまり良くありませんでしたが、人が住む「家(住宅)」のニーズが無くなってしまうことは考えられないことからそれほど悲観的ではなかったと言います。
むしろ不動産会社に勤務しながら「上り坂」と「下り坂」の両方を経験し、多くのお客様と沢山の事例を通して実績を重ねてきたことが将来へのモチベーションや起業することへの自信につながったのかもしれません。

1995年に「株式会社 建都コーポレーション」設立(後に「株式会社 建都工房」設立)し現在に至っています。

設立当時に描いていた将来の姿は不動産ビジネスだけでなく、建築請負(新築&リフォーム)もできる会社にしたいという事でした。
同時に、お客様のニーズ(悩みや問題の解決)に総合的に応えることのできる「問題解決型企業」を目指して日々努めてきたと言います。

創業から25年を経た今日、当時のイメージがやっと現在のカタチとなって結実しているように思えます。
取材を通してモリクニさんが繰り返し言っていたことはとても印象的でした。
「頭がよくなる必要はない」「小難しい理屈も要らない」ただただお客様の願いを叶えるために努力することが大切だと…

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